冨来郁外観

冨来郁の想い

ご挨拶

お菓子は、人と人をつなぎ、大切な方へ思いを伝える重要な文化です。
菓子業を通じて、日々、多くの方々の支えやご援助を実感しています。支えて下さる皆様、皆様に喜ばれる菓子づくりを家業にできること、材料となる大自然の恵み。そういったかけがえのない御縁に感謝を込め、恩返しのような気持ちで菓子をつくっています。
そして、「日ごろお世話になっている、あの方へお礼がしたい」「いつも一緒にがんばっている仲間と笑顔で楽しく明るく声弾ませたい」「自分の大好きな地域の文化や人生の大切な節目を迎えた家族の成長を伝え、お祝いしたい」そのような思いに応えることが、冨来郁の信念です。
冨来郁は、安全で美味しいお菓子づくりを使命とし、地域の歴史文化の継承と、明るい豊かな暮らしを見つめ続けます。

冨来郁 四代目当主 南 万寿夫

冨来郁の菓子づくり

冨来郁では、厳選した素材のみを使っています。餡はいつ食べてもほっとするような、昔ながらの「冨来郁の味」を守り続けています。
また、素材を探すときに驚くのが、地元・東近江が育む恵みの豊かさです。団子や大福の元となる米、餡を炊く清らかな水、季節によって異なる様々な果実。この素晴らしい恵みを育てる土地と人に感謝を込め、菓子を通じてこの土地の良さを伝え、お客様にも農家さんにもよろこんでいただくこと。冨来郁の菓子づくりは、三方よしを目指しています。

  • 近江羽二重糯

    もちもち食感あふれる自家生産
    「近江羽二重糯」

    近江の羽二重(はぶたえ)糯(もち)は粒が大きく粘りがある滋賀が誇るブランド米です。私が昔、京都の和菓子店に丁稚に行っていた時、ある商品のパンフレットに「近江(おうみ)羽二重糯を使用」の文字がありました。その文字を見つけたときのあの興奮は今も冷めやりません。「京都でも近江の米が使われている。素晴らしい材料が滋賀にある。早く家に帰ってお菓子を作りたい。」と想いが込み上げて来ました。以来、毎年自らの田んぼで汗をかきながら、私(南)自身が米を育て続けています。

  • 卵黄

    こだわりの逸品卵黄

    自然に囲まれた「近江の国」滋賀で澄んだ空気と清らかな湧き出る山水を利用して、養鶏技術と徹底した衛生管理のもと、新鮮で安全なたまごを使っています。養鶏場も直営農場と契約農場を持ち、飼料では餌も安全管理して、抗生物質など一切使用せず、鶏がいつも最良の健康状態で産卵できるように季節に応じて配合を調整した栄養価の高い安心、安全な飼料のたまごです。

  • 朝宮茶の抹茶

    豊かな滋味と香気を堪能できる
    朝宮茶の抹茶

    冨来郁の抹茶は、近江信楽 「茶のみやぐら」→ の朝宮茶の抹茶を使用しています。日本最古ともいわれる朝宮の茶畑は、標高450m前後の山肌にあり、寒暖の差が激しく霧深い気候が香りのよい茶へと育ててくれます。農薬・化学肥料・化学的資材を一切使用しない有機栽培の朝宮茶が持つ深い滋味と香気を是非お楽しみいただけます。

  • 大納言小豆

    ルビーのような光沢を持ち
    しっかりとした味と香りが魅力の大納言小豆

    冨来郁では、北海道十勝産の大納言を使用しています。かつて大納言が宮中において刀を抜いても切腹しなで済むことから、煮ても破れず腹切れしない大粒の小豆を大納言と名づけられたと言われています。高価でありますが、煮ると香りがよく色がきれい、その上味もしっかりしている大納言小豆を、冨来小判の粒餡として惜しげもなく使っています。

冨来郁の歴史

当家の始まりは、今から約二百年前の享保年間。
初代・伊兵衛が分家独立した時となります。
当時、材木商を営んでいたと記されており、
伊勢御代三街道沿い(三重県関市)に
多くの近江湖東商人と共に
常夜灯も建てました。
その石の土台には、今も
「南伊兵衛」の名が刻まれ残っています。

お菓子づくりは慶応から明治にかけて、
3代目の與惣吉が菓子業の修行後、
独立しました。
以来、幾度の店舗の移転、
大火災による全焼などを乗り越えながら
現在の地、五箇荘で百五十年ほど
営業させていただいております。

  • 日本の各地には、
    お嫁入りの時にお饅頭を
    嫁入り道具と一緒に持って行き、
    嫁ぎ先でご近所の方々に
    お配りする風習があります。

    今では結婚式の様式も変わり
    少なくなりましたが、
    かつては写真の箱に饅頭をたくさん入れ、
    漆塗りの蓋をかぶせ、
    慶事を寿いでいました。

  • 営業監察票

    明治二十年頃は、
    政府より発布された営業鑑札を受け、
    八日市で営業していました。

    当時、お伊勢さん参りの
    街道沿いに店舗があり、
    地元の村へ帰る人々のお土産品としても
    当店のお菓子が
    たくさん買われていました。

  • 菓子屋業の2代目を継いだ彌三良は
    戦時中に鉄製の道具の多くを供出しました。
    そのため、面菓子などに使う
    鉄製の型も少なくなりました。

    また、次代を担うはずだった長男も戦争で亡くし、
    とても悲しく苦難の時でした。
    しかし、当時も店を閉める事無く営業したことは、
    当店の誇りのひとつです。

    この団扇はお客様に夏のプレゼント用として、
    隣町の能登川伊庭(現東近江市)でつくってもらい、
    お渡ししたものです。
    ご近所のお客様が長年保管されていたものを
    当店にお持ち下さいました品です。

沿革

江戸後期
当家の初代・南伊兵衛が分家し、材木商を営む。
享和年間
当家二代目・伊三郎は若くして亡くなり、妻はるが家計を助ける。
慶応年間
当家3代目・與惣吉が菓子店に入店し修行する。
明治5年
與惣吉が菓子店の初代として独立し、朝日屋の屋号で菓子の製造・販売を始める。
明治10年頃
御代参街道沿い(旧滋賀県八日市市)に店舗を建てる。
明治16年
八日市の市場の中心地に店舗を移す。
明治17年
政府よりの営業鑑札が菓子業界にも必要となる。
明治20年2月
滋賀・愛知神崎郡役所(旧五個荘町)より営業鑑札を受ける。
明治31年
八日市の大火災に遭い全てを無くし、生まれ故郷の五個荘(五位田)に帰る。
明治40年
当家4代目彌三良が菓子商の二代目となる。
昭和20年
戦時中も休むことなく営業を続ける。但し、多くの鉄製の道具を供出し、失う。
昭和24年
彌三良の長男が戦死の為、五男の郁三が当家五代目となり、菓子商の三代目となる。
昭和42年
工場が手狭になり、現在の場所(東近江市宮荘町)に店舗と工場を移す。
昭和46年
工場の増築
昭和56年
西武グループホテルの誕生と共に取引を始める。
昭和63年
工場と店舗の増築
平成8年
お菓子づくりを始めて130年のお礼とお返しの事業として、「出会いは学びの出発点」のテーマのもと、地元の方々を講師にお招きし、1年間で10回、地域の方々と共に様々な分野の事を学ぶ座談会「手の窪の会」を開催する。
平成19年
四代目 代表者 南 万寿夫 就任。
令和元年
株式会社冨来郁 法人化。
現在
多くの方に喜んでいただきたく精進の日々です。
菓子の木型